2011/05/30

父と



私が生まれた昭和31年に父は道楽を辞めたと聞く。
私は父と膝をわって話したことがない。
父は私に対し、精一杯の愛をそそいだにもかかわらず、
私はソレを理解していなかった。
私は幼い頃、父に逆らったことはなかった。
父の白い髪のおくには、
私には考えもつかないふるまいと厳格があった。
父の不器用な性格は大きく私を悩ませた。
父と違って母は何でも私にストレートにぶつけた。
母そして、母方の祖母に私はこよなく愛された。
初めての男の孫、そして長男として生をうけた私。
女系の中で育ち愛されつつ大きくなった。
私は親を手こずらせるような子ではなかった。
性格は活発で気が小さくやさしかったのだ。
母の愛を大きくうけながら父に対して口答えすることもなく、迷惑をかけることもしなかった。
たとえ、勉強に精を出さなくとも「勉強しろ」と、
父に言われたことはなく。
父の車をそっと夜に友人たちと乗り出し、
大破した時にも父は何も言わなかった。
父は典型的な亭主関白で「男子厨房に入るべからず」
と言われた。
母は父に嫁いで49年一度も口答えしたことがない。
父と母が喧嘩をしているところを私は一度も見たことがない。
父は何も言わない変わり、
母は口ごとに私に小言をいう性格だった。
私は母にも口答えはせず、
ただ甘い母の言うことを聞いたことはなかった。
戦中派として育った母は私には甘く、
私の好きなアンコをいつも作り私に与えた。
母の愛は私を甘かし、小言をいつも言い。
私をデブにした。
子煩悩だった父と母。
私は玉のように育てられた。
 御供

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