世界の終わりが近づき、
最後の日の比喩的証言が再び新聞紙上で目立ちはじめた。
経済学の範疇に入る事柄や、文化、自然現象などが普通以上に勝手に混乱され、
ついに間伐はほとんど形式学上の意味をもつようになった。
間伐担当大臣が任命され、
自然は不自然であると考える。
昔の推論がすべてひっぱり出されても解決にまでには至らない。
最低必要利量のアイロニーをくっつけてコモンセンスの領域は守られていた。
この奇妙な啓示的な夏に、
音楽出版界ではパンクがセンセーションをおこしてデューした。
ロンドンはキングス・ロード近くであらゆる種類の様々な若者のスタイルから、
要素を抽出していっしょくたにした新しい若者のスタイルが出来上がった。
実際パンクの素性ははっきりしなかった。
アメリカン・パンクはミニマリスとの美学のピンヘッドやクライムやストーリート・ファッション愛好熱。
自己傷への強い性向。
そのアングラ的伝統である。
早くジャンキーなリズムと、
ソロダンスのスタイル。
およびアンフェタミンがやってきた。
表面的には共存できないさまを音楽がまさかと思われる結合に成功したのはパンクによる不思議な成果である。
これを裏書きするかのように衣服の面でも同様勝手きままな寄せ集めスタイルが作り上げられ、
同種の服に見える不調和音を再生した。
部分部分は文字どおり安全ピンで全体にまとめられあげられ、
非常に写真うつりのよい有名な現象になった。
これがパンクとして知られているものだ。
パンクは安全ピンで写された。
パンクは戦後の労働者階級の若者文化の全服装史を細切れの型で再現した。
もともと全く異なる時期に発生した各要素をひとまとめにしたものだが、
混沌そのものだった。
御供
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