いかなる時代であろうとも人間がいる限り、
そこには愛が存在する。
愛が存在すると信じている。
現代の愛はあまりにも世俗的であり過ぎ、
したがってある意味では不毛である。
19世紀の精神主義の愛は、
人間本来の自由な精神を人間に取り戻して愛した。
新しい精神を生きていた。
第2次世界大戦以降の世代において、
みずからの精神の自覚もない。
愛について言えば、
ひたすらこの愛のカタチを愛だと錯覚している。
あるいはもっと極端に言えば、
精神的活動を持たないゆえに愛というものを知らずにいる。
不毛に不毛を重ねているのが現状だ。
愛のない性交はいかなる場合にも何ももたらさず、
精神において不毛である。
愛において変容を遂げよう。
愛という重荷を背負って人生を歩き続けよう。
世界の重みは愛。
重荷の下の孤独。
重荷の下の不満。
重みよ。
私を運ぶ重荷は愛。
その後の重みは人類に光明を与える。
愛したことがあるならば、
愛とは愛し愛されることの喜びのだけではなく。
ある意味では自己を犠牲にして与えることの苦痛。
この苦痛を喜びとして生き得る心と肉体だと理解する。
どん底から自分の愛することのできる人間を見つけ出したということ。
心正しき愛の人間として生きる。
御供 2000/8/31
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