社会から少し離れたところで、
ゆうゆうと生きている人がいる。
その人たちは、
競争に勝ち抜いての出世ではない。
人の上に立つ喜びを約束してくれる地位でもない。
豊かな人生を保証してくれる資産でもない。
自意識を満たしてくれる名声でもない。
人知れば望み。
まんまと手にしたのは、
人に使われることのない自由という不良少年の心。
そして、友情。
決して退屈することのない日々。
波乱と贅沢を越えた快楽。
旅に限らず冒険といったプライベートな生き甲斐だ。
ドロップアウトした人たち。
社会からはドロップアウトしても、
人生にはドッロプアウトはしていない。
いやそれ以上に自由に自分の時間を持ち、
人生で一番大切な時間を手に入れた人たち。
そんな人はいつも元気だしいい顔をしている。
挫折したわけじゃない。
それ以上に素晴らしいのは、
若い世代が彼らのメッセージを受けていること。
より賢明に、
よりタフに、
ドロップアウトを上手くやっている人。
そんな彼らに共通していえることは、
学校や社会から少し離れていること。
だが、それぞれの生き方を旅先や街で見つけ、
その生き方がメッセージへと昇華し個人史を持っている。
彼らは誰も見向きもしなかったものに胸のときめきを覚え、
ちっぽけなものに夢中になってそれぞれの人生を手に入れた。
ドロップアウトとは現実からの逃避ではない。
ましてやドロップアウトは社会からの脱落ではない。
無限の可能性を秘めた冒険である。
自由を強く望むことにより、
個人のままで生きること。
その自由は個人の数だけ様々で、
何よりも日常の生活の中で満足を覚える。
いくら出世しようが、
成功しようが楽しくなかったら、
自分自身の人生からの脱落者である。
もしかしたらドロップアウトは、
自分の王国を持つことかもしれない。
御供 2000/9/4
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