2010/10/16

ポエトリー・リーデング


詩そのものが原動力である。
ポエトリーがパワーを失ったわけじゃないと思う。
社会を変える源がポエジーだとしたら、
今東京はまさに、その時にさしかかっている。
アメリカの60年代、ケルアックやギンズバーグ。
偉大なビート詩人が誕生した時代。
確かに時代が欲求していたのだ。
出るべきして出てきた詩人である。
東京もその波が押し寄せている。
20世紀末、詩人の魂がロック・ミュージシャンやコンピューター・ピープルが受け継いだように思われたが、
それは違っていたのかも知れない。
やはり社会は詩人の出現を待っている。
社会を少しでも良くする詩人としてポエトリー・リーディングする。
思い思いの言葉を発し、
その破片が一編の詩となる。
それは即興でありったり、
綿密考え出された言葉でもある。
それを聞く耳を持った人の前で肉声で読む。
みんなの前で読むことがいい。
誰もわかっちゃいないんだ。
私の心の中の声が直接聞く相手の心に入る。
人々の心の中を舞い。
愛を連れて来るのだと。
その詩の声の主がある詩人であったということは10年先にわかることだ。
もしかしたら時代が変革した時に気づくことかもしれない。
社会が待っているするどいゲームであることを誰も気づいていない。
人々の前でポエトリー・リーディングする勇気を持とう。
自分の真の言葉を肉声にしてうたおう。
御供 2000/8/12

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