詩そのものが原動力である。
ポエトリーがパワーを失ったわけじゃないと思う。
社会を変える源がポエジーだとしたら、
今東京はまさに、その時にさしかかっている。
アメリカの60年代、ケルアックやギンズバーグ。
偉大なビート詩人が誕生した時代。
確かに時代が欲求していたのだ。
出るべきして出てきた詩人である。
東京もその波が押し寄せている。
20世紀末、詩人の魂がロック・ミュージシャンやコンピューター・ピープルが受け継いだように思われたが、
それは違っていたのかも知れない。
やはり社会は詩人の出現を待っている。
社会を少しでも良くする詩人としてポエトリー・リーディングする。
思い思いの言葉を発し、
その破片が一編の詩となる。
それは即興でありったり、
綿密考え出された言葉でもある。
それを聞く耳を持った人の前で肉声で読む。
みんなの前で読むことがいい。
誰もわかっちゃいないんだ。
私の心の中の声が直接聞く相手の心に入る。
人々の心の中を舞い。
愛を連れて来るのだと。
その詩の声の主がある詩人であったということは10年先にわかることだ。
もしかしたら時代が変革した時に気づくことかもしれない。
社会が待っているするどいゲームであることを誰も気づいていない。
人々の前でポエトリー・リーディングする勇気を持とう。
自分の真の言葉を肉声にしてうたおう。
御供 2000/8/12
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