アメリカの会話体のリズムにしたがって短いラインの詩を書いた。
一篇のちっぽけな詩など書かずに自分のイマジネーションをする。
何も包み隠さず勇敢に書きたいことを書き、
自分の心の奥底から溢れ出るラインを書きなぐって人生を要約する。
自分の示すことのできない何ものかを、
自分の魂の耳、あるいは他の数少ない耳に聞こえるように書くこと。
「僕は見た僕の世代の最高の精神たちが」
僕は詩にビートをつけリズムを持たせるために。
そして僕は僕の想像とかが永遠に真実であるというものへと進んだ。
詩の中で長いラインを散文にならないように維持するためにはどうしたらいいか。
それには感動的なナチュラルなインスピレーションによるほかはなく。
これらの詩は長いラインをつかった詩の一連の実験なのである。
「不滅を終わらせるためのー1」
マリファナについて明らかにすべきことがいかに多いことか。
マリファナによって生じる意識がまさにひとつの意識であり、
それは絶えずおだやかに吸った後の高揚した瞬間もいっそう陶酔するようなこと。
マリファナ体験者は説明的な言葉を必要としない。
そんなことは要するに生体験の驚くべき現実から見ればごく限られた魅力的な一部にすぎない。
マリファナ体験を好まぬ連中はマリファナが麻薬であるという言葉の世界に屈従してしまい、
言葉では表現できない意識の世界の逆宣伝をしている。
しかし世界中に実に多くの人間がマリファナ効果を感じることを望んでいるか。
時間の続行化というくつろいだ時間は本来の好奇心から新しく空間を探求する。
それは精神意識の有効な領域であり、
感受性に関しては敬意をはらわなくてはならない。
マリファナに関するさまざまな否定的イメージがあるが、
習慣性もなくタバコよりも害のないものなのです。
時々酒よりも好んでマリファナを吸い。
ほぼ正常な知覚の変化があった。
マリファナを吸った時、
パラノイア症状を体験するので特殊な視覚的、聴覚的な美の知覚力にとって有効な触媒である。
ここではっきり言わなければならないことは、
詩人、画家、音楽家、映画人、彫刻家、俳優、歌手、編集者などのクリエイティブ人々は長年にわたって、
マリファナを吸ってきたという事実である。
アレン・ギンズバーグ
御供 2000/8/2
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