2010/09/17

時代こそ


苦難な時代こそ、
詩人とその詩にとってある意味ではこれ以上の舞台はない。
なぜならば詩は、
人間が作り出すもののうちで最も素朴であり、
魂に最も密着した肉声の芸術だからである。
しかしながらおそらくどの時代の詩人にとっても、
その詩人の生きた時代は苦難の時代であったことが言えよう。
外観は平和で満ち足りた時代の詩人ですら、
その心のうちにはそれぞれに人間が人間らしく生きることへの苦難を強く感じていたに違いない。
物質文明の異常な発達に人間が振り回されて、
歯車のひとつとして順応し、
あくせくと個性をなくして生きている。
そんな時代に人間形成の時を待つ。
運命に巡り合わせた人間がいて詩が生まれ詩人がいる。
時代の地獄を生き巡り、
その地獄から愛の時代をたずさえて浮き上がってくる詩人がいる。
ノーマン・メイラーの言葉を借りて言えば否応なしに順応を強いられている、
大多数の今日の人間たち。
われわれは同じようななにかある巨大な統計上の計算の中の一個の記号で死ななければならない。
そんな運命にあるかもしれない。
人間の人間らしい営みは、
何か巨大な力で否められ砂の上のように押し流されていく。
そんな時、
人間の原点に立ち返ってそこから再出発しなければならないことを、
自覚した人間たちがいる。
それは時代が必要としている詩人である。
にもかかわらず、
詩人は時代に受け入れられることは後のことである。
その時は苦難の道の途上にいる。
御供 2000/8/26

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