2010/09/09

詩人としてのディラン


ああ、あの時は今より老けていて、
今はあの時よりもずっと若い。
思想を地図としながら、
地図は現地ではない。
バーチァルな・リアリティはリアリティではない。
いかに精密にシュミレーションされようと、
現実の情報すべてをすくいとるとることができず。
かならずつみのこしの情報が残る。
ディランがファンを引きつけた頃、
ベトナム戦争反対の大きなうねりにのった。
アメリカ最高の頭脳マクナマラ国防長官が電子情報と、
コンピューターを駆使して描き出した地図とおりには運ばなかった。
時代は変わり。
新聞の裏ページの報道価値の乏しい自分の作った歌とギターで世の中に対して文句が言える。
みんなは戦争や差別のない世界が来ることを。
歌の力でどう助けることができるか考えた。
思想を私の地図として瀬戸際で時期に会うだろう。
革命とはすべての芸術家が遠慮なく作品を発表できる世の中がくることだ。
革命は本当に自分たちの解放を意味していた。
もうひとりのアメリカの大詩人アレン・ギンズバーグはボブ・ディランを詩人として最高にほめあげて、
ディランの「ミスター・タンバリン」はLSDのためのガイドマップである。
自ら命じた教授のチワはもてあそぶにはあまりのも真面目で味きだした言葉の自由、とは学校での平等だ。
そこから解放されるたびに私たちは若くなる。
しかし、私たちは過去に誤って学習したものをとぎほぐし、不要なものを捨てて、だんだん身軽になって行く。
だから、今もボブ.ディランは歌う。
御供  1998/8/10

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