世紀末の一月はおだやかなゆったりとした日。
やはり冬なので、
少し外は肌寒いが部屋の中はご機嫌。
テレビではルー・リードのビデオが流れ。
机の上にはポットが置かれている。
手作りのキャンドル・スタンドには蝋燭が美しい光を放ってる。
好きな文字に目をやれば、
広がる世界、世界。
音はマンハッタン・NYのインテリジェンスを感じさせ。
窓の外の車のエンジン音はいつもにましては静かだ。
時間は午後6時。
太陽は沈み、
少しばかりの暗がりは人なつこさを。
もうすぐ友が来る、待ち遠しさがつのる。
今日、LA の友ザビエルにも来日中の写真を送った。
良いできの写真だ。
南の島の石垣島に住む友にも荷を送るため、
郵便局でBOXを100円で買った。
冬のバケーションとしてもうひとりの友はメキシコに向かった。
ロンドンの友マッドからは会えなくて心配そうな電話があった。
LAの友人スコットに連絡したからもう大丈夫だと思う。
地球は本当に小さくなったかのように錯覚する。
ボーダーがなくなればいい。
友と友をつなぐパーソナルな無線こそ人間の素晴らしい財産。
そう考えるのは私だけだろうか。
7人の友がいれば、
7軒の家があるのと同じことだと思うだが。
生を受ける選択する自由がないように。
死を選ぶ自由もないことに気づく。
自由の翼のない生活だとしたら、
安楽死を選択する自由もない。
心を豊かに友に楽しい笑い顔を!
それを考えるとニンマリする地球の中。
カセット・テープに切り替える。
ウィリアム・バロウズのポエトリー・リーディング。
アメリカの鬼才。
ビート文学者。
ドラッグ・カルチャーを代表するひとりだ。
続いてアレン・ギンズバーグの詩だ。
ギターに会わせて鳴り響く彼の詩はなんとリズミカルな音を踏んでいることだろう。
すべてのことに対して美を求め、
自由という反逆を胸に抱いて生き抜いたビートニクのジャンキーたち。
良き水先案内人として私の前を歩いていくのが見える。
ここは世紀末の東京広尾だ。
経済というディビルにおびえているのが良く見える。
東京を歩きまわる。
人間という生きものが経済というゲームでいじめられているかのようだ。
それも他の権力者の作り話だとも知らずに。
人が人をあやつるなんていけないことなのに。
国家が政治が加担してやっているのだから笑わせる。
人間同士のエコノミック・ウァーは目に見えない心の中と体の中に入り込んでいる。
ゴミの山の正月、大都会。
人間の暮らしに無駄なものが多過ぎる。
モノの豊かさよりも心の豊かさを知るべきだ。
教養という常識。
規則正しい朝と夜のある毎日。
朝のコーヒーの甘さを味わう余裕。
本当に自分だけの規則というものを作り上げる。
御供 1999/1/25
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