私はいつも雑誌の中に住んでいる。
編集の仕事をして23年になる。
私の人生44年を通して編集をやる前もやってからも、
いつも雑誌の中にいる自分が見える。
しかし、今日友人が持って来た幾冊かの雑誌を見ていると、
どうしようもないやるせなさを感じた。
女の裸やタブーとされているもの。
また芸能界と中心とする、
マスメディア雑誌がいかに多いことか。
読んでいて嫌悪感さえおぼえる。
くだらない内容のものが堂々と出版されているから驚く。
そして広告の量の多いこと。
すべてがタイアップがらみで、
イン・エディトリアルのなんとイニシアティブのないことか。
この作り方は一冊も売れなくても儲かるという仕組みだ。
編集の内容はすべて流行をつまみ食いしている「丸の内弁当」。
あれもこれも少し入れてある。
これというオリジナルなところが見られない。
なんと現実からかけ離れたことが書かれていることか。
売れるものならなんでもいいというのか。
空現実の世界がつくられ過ぎている。
こんな嘘の多い雑誌になんの魅力があるというのだ。
くだらない編集長の下でくだらない台割り通りに編集する。
なんの力もない雑誌。
一般すぎて自分の意見も書かず、
なんの夢も与えてくれない。
これらの雑誌は資源の無駄使いでしかない。
紙という資源を必要以上に使い。
なんの役にもたたない情報でうそぶいているだけの内容。
どうしてこんなものをつくるのか。
はずかしくないのか。
こんなくだらない雑誌をつくって、
世の中を間違った方向へ引っ張っているメディア堕落。
本を買う地方の読者だって馬鹿じゃない。
もうこれらの雑誌におどらされることなどないのに。
わかっていないのは編集者の方だけだ。
「馬鹿にしたら馬鹿にされる」ということを。
君たちのやっていることは本当にくだらないことなんだよ。
さみしい気持ちやプライドを忘れてしまってる。
これらの編集者たち、あきらめないで。
勇気を出して心を入れ替える勇気を持って欲しい。
自分の感じる情熱を伝える本気を出して欲しい。
じゃなかったら、さみしさの中にストレスを溜めるだけ。
雑誌が好きでやっているんじゃないのか。
自分の目で見たことを、
ジャーナリズムの目で持って書いたらいい。
どんなに時間がかかったってストレスは貯まらないと思うよ。
仕事を失うことを恐れないで。
自分のやりたいことをやるべきさ。
使い捨て編集者になってしまうよ。
私はいつも雑誌の中に住んでいるが、
この憤りは自分がそうでないことの証しである。
またこんな世紀末の時代に私のところには幾つもの仕事が舞い込んでくるのだから。
また時代は本質を貫く時代に突入している。
じゃなかったら私のやっていることはすべて嘘になっちゃう。
インディーズのコアな雑誌が面白い。
一枚の写真と少ない言葉で語られる本根。
それでもって人生を変えちゃうぐらいのインパクトのページ。
雑誌はひとりじゃつくれない。
いろいろな人間が加わってジャムるから面白いんだ。
またそんなリトル・マガジンの時代なのかもね。
偉大なるリトル・マガジンの時代に突入しているのだ。
真に求められているものは、
本当に役に立つ一編の記事なんだ。
それはあまのじゃくな正直者によって書かれる記事。
いつでも雑誌の中にいる私の時代が来ていることを喜ぶう。
心がはしゃぐ。
御供 2000/11/25
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