イサムの本を読んでいたら、
イサムについて詳しい人に出会った。
会って二度目で四国に行こうということになっている。
イサムは四国の高松の近くで晩年、
創作活動をしていたという。
そのアトリエをギャラリーとしてキープしているのは、
イサムのお母さんだという。
またイサムの創作には欠かせない手伝いをしていた石屋も、
そこにあるという。
そしてイサムはそこで多くの石に手を加え、
未だその石がその石屋に残っていてがれきの山となっている。
彼がいうにはその失敗作のがれきの山を見た時、
スゴいパワーを受けたという。
こんなにも多くの石を失敗したのかと驚かされると同時に、
イサムのパワーを感じたという。
再び、下北沢のライブハウスでイサムを良く知る人に会った。
四国へ行くことを誓いあった。
私も私の仕事をつくり、四国へ行きたいものだ。
人間の生活には仕事に向かう時間の他に、
いわゆるレジャーと呼ばれる時間がある。
それは生活のための努力から解放された自由の時間であり、
遊びに使ってもよく。
趣味に使ってもよく。
あるいは神とともにある時間と言っても良い。
このレジャーにこそ、
人間は「人間のスペース」の中に生きるのではなかろうか。
またそこから芸術が生まれるのではないか。
アメリカと日本のふたつの血を体に持つイサム・野口。
両国を行き来しながら多くの彫刻を作り上げた。
イサムは一生ひとところに落ち着くことをしないで過ごした。
ニューヨークとイタリアと日本をまわり。
フランスで仕事をし、
インドでインスピレーションを受け、
日本で恋をした。
イサムは晩年、
色っぽい男として一生ひとりの女に落ち着くことはなかった。
また一カ所に長くとどまることをせず。
どんなに居心地が良くても日本とニューヨークを行き来した。
御供
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