2010/09/19

出会うこと


イサムの本を読んでいたら、
イサムについて詳しい人に出会った。
会って二度目で四国に行こうということになっている。
イサムは四国の高松の近くで晩年、
創作活動をしていたという。
そのアトリエをギャラリーとしてキープしているのは、
イサムのお母さんだという。
またイサムの創作には欠かせない手伝いをしていた石屋も、
そこにあるという。
そしてイサムはそこで多くの石に手を加え、
未だその石がその石屋に残っていてがれきの山となっている。
彼がいうにはその失敗作のがれきの山を見た時、
スゴいパワーを受けたという。
こんなにも多くの石を失敗したのかと驚かされると同時に、
イサムのパワーを感じたという。
再び、下北沢のライブハウスでイサムを良く知る人に会った。
四国へ行くことを誓いあった。
私も私の仕事をつくり、四国へ行きたいものだ。
人間の生活には仕事に向かう時間の他に、
いわゆるレジャーと呼ばれる時間がある。
それは生活のための努力から解放された自由の時間であり、
遊びに使ってもよく。
趣味に使ってもよく。
あるいは神とともにある時間と言っても良い。
このレジャーにこそ、
人間は「人間のスペース」の中に生きるのではなかろうか。
またそこから芸術が生まれるのではないか。
アメリカと日本のふたつの血を体に持つイサム・野口。
両国を行き来しながら多くの彫刻を作り上げた。
イサムは一生ひとところに落ち着くことをしないで過ごした。
ニューヨークとイタリアと日本をまわり。
フランスで仕事をし、
インドでインスピレーションを受け、
日本で恋をした。
イサムは晩年、
色っぽい男として一生ひとりの女に落ち着くことはなかった。
また一カ所に長くとどまることをせず。
どんなに居心地が良くても日本とニューヨークを行き来した。
御供

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