2010/08/31

J・ケルアックに捧げる


<コーラス224>
全能の神よ。
われらは何をなすべきか?
われらは何をすべきか?
メキシコの葬儀屋で尊大な嘆きやと解答者が歌ってる。
するとぴしゃりと一声。
頭上の雲がひびく。
『すべてはなされた』
上には『何もなく』というのと同様。
月光の数、何がなされたのか?
すべてが誰も一様に祝福された。
すべてがなされたって?
屋敷は建てられ、火宅の中で老いて死んだのか?
鈴の音から、鈴の音へ。
香水の手によって伝えられた。
『すべてはなされた』
『ゆえにいにしえ』
やすらかに!
<コーラス225>
眠っている間のあのひどく心地好い虚無には、
決まった場所もないのに皆に与えられたという。
内なる聖を求めて!
地理圏をあちらこちらと休みない精神の探求を続ける。
暗がりで顔をしかめ、
愚かな自分を諭す。
自分、何にせよ現実というものがあると。
信じるふりをしてみるのだ。
中でもとりわけ人を鍛え上げる現実というやつを。
荒野の試練。
スーパーマンの孤独。
星のまたたく夜。
雲ひとつない午後。
せまりくる壁のない、内なる眩しい天国の外には、
うれいも迷いもない。
永続する悟りの恍惚よ。
黄金の空よ。
私は迷ってしまった。
<コーラス226>
失うべき道などない。
道があるとすれば、
太陽が地を照らし、私は西へキミは東へ行く。
本物の太陽が追いかけるのはどっちだ。
本物が姿を借りているのはどっちだ。
どちらも本物ではないのだから。
唯一の本物の道などない。
太陽だって、二倍に。
また、百万倍に増幅された妄想の道。
道がなければ神もない。
達磨もない。
概念もない。
ただひとつの恍惚も心に満たすべきは、
道とはなにもない道だという想念。
すべては同じ道。
この啓蒙的な詩を書いたら、
次に私は何をするべきか?
自己の恍惚という魔法のじゅうたんに乗るか。
黒塗りのバスが走り去った後、
取り残された子供たちのように死ぬのを待つことにするか。
それとも?
<コーラス227>
くそ、みじめだ。
ひどいことになった。
無慈悲にもただ最悪の事態を持っているだけ。
どうにもならない、希望もない。
苦悩という概念が、
私の不自由な形式上不備をしめつけていると知っている。
歌うどころか存在さえない。
若い頃は仕事して、きちんと金をもらった。
仕事は楽しいし、
名声と慈悲の区別もつかず、ふせぐことなく、
靴もなく、目もなし。
肺もなく、幸せもなし、芸術もなし。
あることもなく。
別れる相手もなく。
うるさく言うヤツもなく。
作る楽しさもなく。
すいすい飛ばす言葉もなく。
恐怖と間に合わせの詩が、
定職をいやがる自分の隠れ蓑と知らないではない。
永却の地域にあって千倍に拡大されている。
     mitomo

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