これからの起きる楽しいことや悲しいことを、
じっと予感している。
それを言葉にすることもまだできない。
でも脈々と生きている。
世界の国のどこに生まれたからって変わりはしない。
追い立てられ、
急がされ、
型にはめられ。
どんな田舎も容赦なく貫く味気ない大きな道路。
センスの悪い大型店が立ち並ぶだけ。
でも生茂った緑の山を見ると、
涙を流してしまう。
おもちゃのような湖のように音をたてない海。
この国にしかない自然を愛している。
今は何が起こっても不思議でない時代だ。
小さな島を守るために真剣に会議が開かれ。
同時にカラスが猫を殺す。
昔ながらのお祭りを楽しみ。
神輿を担いでいる時、
誰かがみんなの食事に毒を入れる。
何を信じたらいいかわからない。
でも私は愛されている。
私はこのめまぐるしく動く時代の中で、
いろいろな人を見過ぎた。
今やどこから来たどんな外見の人でも恐れることなく、
出会うことができる。
本能を信じて、
こだわりを捨てて。
私たちの魂はどんどん素晴らしくなっている。
私は食べるのが、
楽しいことが、
健康でいることが、
人によく思われることが、
お金が好き。
でもその人のために生きているのではない。
したいことのために食べれなくても、
大変でも、
体を壊しても、
悪口を言われても、
貧乏でも、
醜いものをたくさん見てもかまわない。
そのくらいの覚悟はできている。
生きているということはいつも両方見ていること。
そんなに捨てたもんじゃないと思っている。
TVも新聞も悲しいことばかり言わないで欲しい。
今はまだまだはじまったばかりの旅の途中。
御供 1999/3/9
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