2010/08/27

家族


日本人は農耕民族だ。
種を蒔いたところにしか実りを認めない。
だが、狩猟民族の人間たちは、
愛を持って接すれば家畜をも家族になると考える。
子供のいない男女はベトナムの難民をひとり引き取り、
愛を持って接し家族となる。
人類全部を救うことはできなくとも、
ひとりは愛を持って救えるというわけだ。
ニール・ヤングがそうであるように。
病んだ文明の象徴大都会で打ちひしがれ、
自由と真実を求めてときめきと恍惚を求めて生きている。
私たち都会人は少しでも多くのよりどころを探している。
それが時として、家族であり仲間である。
住処に家族以外の心を許せる友がいるとしたら、
どんなに有意義な人生になるだろう。
日本は昔、とても完成された江戸文化をスルーしている。
江戸城を中心に人たちは集落を作り、
灌漑やいろいろな設備を手配した。
そのひとつが長屋である。
その長屋感覚の住まい。
みそや醤油がなかったら借りる。
みそ汁が多くできてしまったら、
お裾分けする。
そんな小さなこと。
隣人と上手くつき合う。
決してジェラシーなど感じず。
お互いに上手くつき合う。
たまの休日にはバーベキューなどしたり、
本を貸し合ったり、
CDを大きな音で聴かせてあげる。
プライベートを無くせというのではない。
互いにリスペクト『協調』の心を持って愛し合う。
「人生は愛した分だけ愛される!」
そう考えてやまない人たちが、
今までと違う住まいを探している時代なのかもしれない。
会話はとても人間を豊かにしてくれる。
ひとりで解決できない様々なトラブルも、
誰かがいたらその先の道を示してくれる。
人と人の間と書いて人間となるわけだが、
私は人間になりたい。
また、定住を進めるつもりもない。
一回、家を手に入れたら、
そこに一生暮らすと言っているのではない。
ある時期そこで暮らし、
時期が来たら南のあたたかい島でゆったりと暮らすのもいい。
とりあえず、住処を作るのであったらいい人間と過ごすべきだ。
いい人間と一緒にいれば、
いい時間が持てるわけだし。
いい人間が集まればいい街が出来上がる。
どうせたった一度の人生。
たんと遊んで楽しくやろう。
エンジェルに引かれて!
自分だけの人生を送ろう。
なんでもそうだが人間が中心ということだ。
いい友を少しでも多く持ちたい。
地球は日々狭くなっている。
東京で仕事をして、
週末は北海道や九州でセカンドハウスを持って過ごす。
いや、ハワイやロスやオーストラリアで過ごす。
一年のうち3ヶ月東京で働いて、
一ヶ月を海外のセカンドハウスで過ごすなんていうのもいい。
思い切ってそういう生活をする。
一ヶ月長期休暇をとるというのも決して無駄じゃない。
次の仕事のためのアイデアがポケットに溜まるし。
リフレッシュしてやるぞという気持ちになること請け合いだ。
そんな時、隣人が家族のようだといろいろと都合がいいだろう。
人間はひとりで生きられるものじゃない。
お互いに助け合って楽しく生きるべきなんだ。
自然が私たちに恵んでくれる光や風や雨などを、
みんなで分かち合い。
ともに生きていこう。
何が住まいに一番必要かって?
それはもちろん信頼できる友であり、
愛せる隣人であるだろう。
住まいを探すなら、
いい空気の流れるいい隣人のいる家がいい。
光と風と雨を、
共に共有できる住まいそんな家がいい。
やさしい愛という風が吹き抜ける住まいを手に入れたい。
家はもちろん人間が主役。
いい光があたる家。
御供 2001/7/1

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