2010/06/11

偉大なるリトルマガジン


この氾濫する情報の中でたくさんの雑誌が出ている。
多くの雑誌がまるで新聞折り込みのチラシのようだ。
カタログ化している。
どの雑誌を開いても同じようなことばかり出ている。
まるで日本人の大好きな幕の内弁当のようだ。
少しずつ当たりさわりのないものが、
あれもこれも入っている。
みんなおきまりの優等生気取りでね。
一枚の写真と短い文で人生を変えてしまうような雑誌が欲しい。
ただそれだけでいい。
切り取って壁にピンでとめて、
いつもいつも眺めているお気に入りの写真。
このひとつの記事が、
その人の人生の扉を開けてしまうことになる。
そんな雑誌がない。
これでもかというのりの上手いのり弁がない。
あれもこれもじゃなく、
美味しくて、新鮮で、パリパリしているのり弁当。
そんな雑誌の時代がまた来ている。
時代はないものを要求し、
その出現を待ちわびているんだ。
けしてマスターベーションでなく、
相手も気持ち良くて出ちゃうようなやつ。
そんな時代が到来していると思わないか。
かつてパリに偉大なるリトルマガジンが生まれて、
多くの未解決な問題が解決したんだ。
この腐りきった東京の雑誌の中で、
もっとパーソナルな雑誌が欲しい。
この物質主義の社会の中で、
商業的に画策されていない雑誌がいい。
青々とした新鮮な野菜のような美味しい雑誌が欲しい。
そんな雑誌が生まれてくるべきだ。
いや、生まれるべきだ。
この地球に残された資源と時間を無駄にしないでくれ。
自分だけ良くなろうとする考えをやめて、
みんなで良くなることを考えたい。
自分のルールの中ではっきりとした意見を持って、
街で見つけた自分だけの情報を伝えるべきさ。
生きていくのにたくさんのものなんて抱えきれない。
しっかりとした目で探しあてたものを紹介する。
自分に言い聞かせるような雑誌を作っていくべきだ。
そうじゃなかったら、
いつまで経ってもこの泥沼から這い上がれない。
自分の心に忠実に正義ある記事を堂々と載せた雑誌。
こんな偉大なるリトルマガジンを時代は待ちわびている。
グラフィックは確かに大事だし、
きれいにレイアウトするのもいい。
一番大切なのは言いたいことがあるか、
ないかじゃないかな。
偉大なるリトルマガジンの時代に突入に期待したい。
  御供 2002/3/29

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