2010/06/21

セントラル


どこの都市にもセントラル・ステーションというものはあるものだ。
東京でいったら東京駅がそうだろう。
東京駅はオランダのアムステルダムのセントラル・ステーションを、
模倣した建物らしい。
東京では上野が一番似ているかもしれない。
その駅から、
地方に向けて電車が出ているのだ。
逆に中央に向かって、
それぞれの田舎から目的を持ってやって来る。
そして、初めて降り立つ駅なのだ。
そこには色々な人種がいて、
決して豊かではない人たちがいる。
その日暮らすためのお金をかせぎ生活する。
ある者は人生を投げやりにして何かに中毒している。
イタリアのセントラル・ステーションに今私はいる。
マクドナルドの上にある一泊50ユーロの小さなホテル。
シャワーだけで電球も切れている。
エアコンは壊れていて動いていない。
もうかなり前から動いてなさそうだ。
TVは色あせた人生のような、
ぼやけた色をしている。
TVでは昔の映画を再上映している。
内容は人間が貧しさから立ち上がり、
自分の世界を創るために精一杯やっているというものだ。
こんなホテルにいて感じることがある。
初心に帰りハッキリと目的意識を持って、
がむしゃらにやっていた20代の私を見ている。
若い頃の私は10ドルの安モーテルでも、
ワクワクしてアメリカを旅して回った。
やがて慣れてきて少し裕福になると、
お金でサービスが手に入れられることを知った。
高級ホテルに泊まる。
そこにはダイヤモンドの指輪をした老人がいる。
ゆっくりと動いて目はもう何も見ていない。
私は今ここにいてビートを感じている。
ビートの作家たちも、
こんな安ホテルで何かを感じ行動を起こしたに違いない。
そしてアメリカを、世界を変えて行ったに違いない。
私は今イタリアはミラノの安宿にいる。
この気持ちこそが一番欲しかったものに違いない。
ここにいるとたくさんのことを吸収できる。
私は生きている。
これからもきっと楽しく生きられると確信している。
東京で何度も成功と失敗を繰り返し、
私は生きて来た。
とても楽しく、いい友に恵まれて生きて来た。
この旅を機会に、きっともっと変わっていくことだろう。
私は東京での生活を反省している。
人間が愛を持って人間に接するということを考える。
今の東京にはもう愛は無い。
いらないことばかりが多すぎる。
余裕を持てなくなっている。
今回の旅の発見は大きく、
私のコレからの人生を大きく変える。
変わる予感に包まれている。
新たな気持ちで生きていこうと決めている。
きっと何かを発見する旅とはこういうものなのだ。
シャワーのお湯も出ない、
小さなベットの上で詩を書いている私。
大きな未来が手が届くところにあることを予見する。
何が何でもやってやる。
フツフツと思考が沸き上がる。
ストリートで店をやっているパキスタン人と友になった。
その友人で韓国に住んだことがある、
キキというパキスタン人にあった。
セントラルの近くに住んでいるドイツ人らしくないドイツ人にも会った。
私はこういうところにこそ悪と正があると思う。
キキは私に忠告した。
「気をつけろ、持ち物は絶対に手から離すな」
日本人である私は油断し、
まんまとパスポートを取られてしまった。
だが神は私に味方したのか?
パスポートはホテルのフロントに預けてあったので救われた。
それを知ったのか、奴らは私にパスポート入れを返してきた。
ポリスに言いつけられるのがイヤなのだろう。
私だってポリスに言いつける何てイヤだ。
話もしたくない。
幸運なことに何もなくてこの場はすんだ。
私はファイトする振りをして、自分をアピールした。
パキスタン人の店をやっている若者は、
ゴーカー・フェイスでまるでスーパーマン。
母と弟たちを食わせ、生活の面倒をみているというから立派なものだ。
キキはミュージックが好きだ。
そしてとても優しい人だ。
若干22歳だというのに国を出た。
韓国に住んだ体験があり、
旅人のような空気のような存在を自然に身につけている。
「彼らは盗みが仕事なんだ」と軽々と言う。
そう聞かされた私は、
セントラル・ステーションのルールを少しだけ身につけた。
権力に押し付けられて、弱者同士が必至に生きている。
強がっているわけじゃない。
生きるための手段なんだ。
心の中の問題じゃない。
そうしなければ、
この世の中で生活していけないとわかっているのだ。
だけど人間とは不思議なもので、
顔を見ただけでいかなる人種であろうとわかるものだ。
私は初めて店の彼を見た瞬間、彼も見た。
「東京から?池袋を知ってる」と、彼が言う。
「知っているよ。東京ボーイだからね」
「でもあまり行ったことはない」と、言う。
彼は流暢な日本語を話し、
いろいろと日本のことを聞いて来た。
私はカフェラテを飲み、コーラを飲み、
ポテトチップスを買った。
そばにいたキキが、
ここよりこの公園の外に行こう。
その方が安全なんだ。
片言の英語をお互い使い。
このミラノのセントラル・ステーションについて話した。
そして生き方のことについて話した。
世界の状況。
パキスタンとインドのカシミールを舞台に争うことの意味。
彼は争いは嫌いだ。
MUSICが好きだ。
だから、キキは音楽を聞いている時が幸せだと言った。
私も思わず言った。
こうやって旅をして、
いろいろな人間と少しでも多く知り合いたい。
それがやりたいことなんだ。
人間は何を目的に生きているのか?
人間はどこから来て、どこへ行こうとしているのか?
ビートの連中はアジアをスルーして、
アッシジまで行った。
そしてアメリカへ帰り、
英雄として、文学として型を残した。
それは国境を超えて、
私にも受け継がれている。
1920年代、パリを舞台にインドの詩人タゴールが異邦人を読んだ。
『ここではない。ここではない。もっと遠いどこかへ行きたい』
ミラノもそうだが、あらゆる都市にはあらゆる人種が住み着いている。
新しいルールを作り出している。
それは生きて行くためのすべであり、
愛と友情がささえる。
自然発生したもので公的には認められていないかもしれない。
だがここには、ここの生きるためのルールがある。
私は置いて行かれ、金もなく途方にくれた。
だが私は楽しく日々を過ごした。
何も不安がなかったわけじゃない。
いくつもの不安が頭をもたげた。
このペンの薄さもそのひとつだ。
ドラッグのあり方についても私は良く考えた。
自分に余裕がなかったらやるもんじゃない。
日常という繰り返される渦の中に、
沈むことな、元気に生きることの大切さ。
イタリアのセントラルには夕日が、
アスファルトに輝いた。
仕事をしてお金を稼いで回りの連中を楽にリスペクトしたい。
ストリートの目線で街を見て、生きて行く。
この生きていくという難しい問題に、
いかに対処していくべきか考えた。
私は強く深くこれまでの体験をひとつひとつあげながら考えた。
私は今、その準備を終えて、
朝のセントラルの街へ出て行くところだ。
   H.MITOMO

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