2010/06/24

足踏み鳴らして


少し前に[太陽]という手創り新聞に出会った。
西麻布2丁目界隈を愛する人たちが創るフリー・ペーパー。
西麻布2丁目界隈の人たちのための新聞。
隔月/毎偶数日3日。
サブタイトルにアナログ&フリー。
現代という「非常時」に、
なんていう地球の中を泳いでいるんだと感じた。
そう、「常時」には「常識」が横行するが、
「非常時」には「非常識」がまかりとおる。
だから、「非常識」に生きたいと考えていた時だった。
桜の花の下で、
狂い咲きしたように騒ぎたい。
一丁目よりも二丁目。
青山墓地の下にあり、
[太陽]というタイトルなのに太陽があまり照らさないところ。
でも、その太陽の発する光は目では見えないほど、
早く、心の奥底まで入り込んでいくようだ。
時間という色目を使う亀裂の中に落ち込んだこの現代。
デジタル時代に突入した時間に逆行するかのように、
アナログ的に生きる面白さ。
強くつながりをもち、
世間一般のルールの外に生きる。
手の中に入りそうな小さなやさしさと思いやりを味方にね。
どんなに浄化しても消えないことが消える街
人間の社会の悪という都会の真ん中に位置し、
ちょっと経済的安定を無視したヤツらの集まる界隈。
都会というネオンの街角に棲む闇を見つめ、
人間の底にうごめくものを感じるところ。
見栄と虚構を増殖して生きる人間と知りつつ、
狂気と無縁の歌をうような笑みを浮かべる。
人がうらやむようなエリート人生では飽き足らず、
大都会という人間の森を迷いながら歩いている。
「どいつもこいつもとんでもないヤツらさ」
「ちょい悪」だなんて言えないな。
そんなこと言っても、
一言ではかたずけられないような生き様をしているやから。
東京でアリのように生きて行く人生を選んだヤツらに、
何がわかると言うんだ。
ただ、西麻布二丁目界隈でできることは至福に向かって、
刻まれて行く時間か時代を生きること。
そこに逃げ込んで来た子羊たちの声に耳を傾ける。
作り話にも似た映画の中のワンシーンのような、
おべっかではない声が聞こえる。
肯定と言う言葉ではいい現せないものに目を凝らす。
派手に言っちゃえば、
自分の信じた心地よい生き方を泳ぎきる。
たとえ、結果的にオオカミ少年になろうが、
夢想家と言われようが生きる。
その時、その時は、
本当に確信を持って良しと考えていたことは間違いない。
人間っていろいろいるけれど、
この西麻布に来る人間はとても幸せだよ。
こんな足踏み鳴らして、
楽しみ、悲しみ、苦しみ、立ち止まったり、転がったり、
そしてまた、歩きはじめる。
いい仲間がいるところに身を置くことができるなんて幸せだ。
なんとなんと楽しい地球の中!
そりぁ、たまには完全にいっちまって、
現実と夢をまちがえているヤツだって迷い込むさ。
でも、そのポジティブな前向きなユーモアに心動かされるか。
はまりこむという、時間の流れに気持ちよく泳ぎ喜ぶ。
上等だよ。
今夜は飲み明かそう。
浴びるほどに飲もう。
人格をなくしたって知ったこっちゃない。
人間なんてものは悪さできるから、
生きることに真剣なんだ。
神様が隣にいたら正座しているよ。
まっぴらだよ。
人間は人間らしく格好よく生きる。
間違いを繰り返しながら「達磨」のように、
七転び八起きで生きる。
この方が悔しいくらいに格好いいだろ。
足踏み鳴らして声高らかに、
ちゃめっけいっぱいで生きている街。
西麻布二丁目。
彼らが彼らのために創る新聞[太陽]。
それで充分だろ。
ああ、少し光が長くなって来た。
   御供      11/12/22

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