2010/06/28

スペクテイター


イデオロギーが政治や社会を改革できると、
誰もが信じていた。
60年代が幕を閉じた頃に、
情報という目に見えない価値が世の中を支配し始めた時代。
時代は大人になった。
気がつくと、
既に高度に情報化されていた。
無意識の内に消費というゲームに誰もが没頭していた。
人よりも早くたくさんの情報を手に入れる。
それが、個性豊かで文化的な条件だと信じて疑わなかった。
ところがここに来て、突如ゲームは違う方向へと移動した。
携帯やインターネットのおかげで、
努力して情報を手に入れなくてもよくなった。
情報の方から勝手にやって来る時代になった。
情報はまるで空気のように見えないで舞っている。
ある時は巧妙な手口で日常に入り込み、
欲望を刺激する。
地球の裏側に暮らすリアルな日常も知ることができる。
だが、ちょっと待てよ。
情報って?
リアリティって?
一体なんだろう。
その問いが大切だ。
何が新しいかではなく、
どう新しいかだ。
どうしたら情報と上手くつき合っていけるのか。
世界中で起こっている様々な出来事を通して、
そんなことを考える。
単に鮮度だけにこだわるのではなく、
あらゆる角度から情報を検証しないといけない。
そうすれば生活で必要なことが見えてくる。
消費のための情報ではなく、
役立つ不可欠は小さな価値のある情報。
そしてそのための人生という問いに戻る。
自分自身を知ることから模索すべきなんだ。
 御供 2001/1/1  11/12/21

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