イデオロギーが政治や社会を改革できると、
誰もが信じていた。
60年代が幕を閉じた頃に、
情報という目に見えない価値が世の中を支配し始めた時代。
時代は大人になった。
気がつくと、
既に高度に情報化されていた。
無意識の内に消費というゲームに誰もが没頭していた。
人よりも早くたくさんの情報を手に入れる。
それが、個性豊かで文化的な条件だと信じて疑わなかった。
ところがここに来て、突如ゲームは違う方向へと移動した。
携帯やインターネットのおかげで、
努力して情報を手に入れなくてもよくなった。
情報の方から勝手にやって来る時代になった。
情報はまるで空気のように見えないで舞っている。
ある時は巧妙な手口で日常に入り込み、
欲望を刺激する。
地球の裏側に暮らすリアルな日常も知ることができる。
だが、ちょっと待てよ。
情報って?
リアリティって?
一体なんだろう。
その問いが大切だ。
何が新しいかではなく、
どう新しいかだ。
どうしたら情報と上手くつき合っていけるのか。
世界中で起こっている様々な出来事を通して、
そんなことを考える。
単に鮮度だけにこだわるのではなく、
あらゆる角度から情報を検証しないといけない。
そうすれば生活で必要なことが見えてくる。
消費のための情報ではなく、
役立つ不可欠は小さな価値のある情報。
そしてそのための人生という問いに戻る。
自分自身を知ることから模索すべきなんだ。
御供 2001/1/1 11/12/21
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