何時も私は旅の途上。
何時も私は心の神を探して歩き出す。
身につけるものは少なく。
幸せと悲しみは消えて行く。
私の放浪の意味や目的は未だわからない。
幾度も私は倒れ、そしてまた立ち上がった。
ああ、私が探しにいったものは恋の果てなんだ。
しかし、それはとても神聖に遠く高いところに輝いていた。
目的に思いをはせたりしなかった頃は気楽に旅をつづけた。
高度の喜びや幸せを味わったものだ。
目指す果てを見つけたが、すでにもう遅かった。
星はあらぬ方向を向き、朝の冷たい風が吹いている。
私があれほどまでに愛した多彩な世界が別れを告げている。
私は目的を見失ったが、
思い切って、また旅に出た。
『不幸に泣いたことのない者は真の幸福に出会えない』と誰かが言った。
幸福はいかなる過剰からも生まれない。
決して、消極的などではない。
所有は幸福とは無縁である。
幸福とは心のあり方のみ関わるなにかなのか。
幸福という魂の事情を恐ろしいほど洞察していたとして持てる者は少ない。
何も持たないことに徹し、
生きるための力を蓄えている人生がある。
心そのものをもっとも虚しい状態に置く。
人間は自らを生きることにかりたてる。
そしてまわりにいる者たちに進めたに違いない。
『幸福なるかな心の貧しき者、天は彼の手中に眠っている』
心貧しき者は心ない者ではない。
社会からはみだした者にもある。
あまのじゃくが正しいいろいろな未解決な問題に向かって、
夢見る者だと解釈したらいいだろう。
何物も欲せず、何物も知らず、何物も持たぬ者。
物だけではない。
自分の自我に執着すら持たぬ者。
知は持っているが、
ひけらかすことなく内面の中にしまっておく者。
否定からはじまる者は何も生み出さない。
肯定することによってたえざる永遠を手に入れる。
新たに知ることを恐れず飛び込んでいく者。
何もこの物質社会において持たぬとは、
内的であれ、外的であれ、
あらゆる事物、あらゆる業、すべてのモノから解放され自由であるということ。
何も欲せず、
何も知らず、
何も持たぬ者こそ、
今の社会を変えることのできるひとにぎりの人間であるかもしれない。
決して否定的な概念ではない。
自分の意識、知、所有に縛られ、繋がれ、執着しない者こそ、
真の自由というわけのわからぬものの支配者である。
すべてを受け入れるほどに自由で生きる力に満ちている。
真の『心優しき反逆者』
病いによって行動という旅の自由を奪われた者は、
人間にとって何が一番大切なものかをとことん考える。
知ったからこそ窓の外を眺めることで幸福を味わうことができる。
生きるという中にひとつの力があり、
その力にとってすべてのことが甘美である。
心の中にひとつの力がある。
この世のもっともつまらぬもの、
この世のもっとも良きものを判断できることは、
人生を真に生きることに等しい。
この力こそ、万物の『ここ』と『今』を受け入れる。
『今』それは時間であり、『ここ』それは場所。
今私がいるところである。
もし私が私から完全に脱却し自分からまったく自由になったとしたら、
『その時、天はわたしを生み、私の行いはそれを生み返すであろう』
これこそ幸福であり、至福と呼ぶに値するもの。
現代社会の幸福とはなんとそれと大きくかけはなれたものか。
時としてまだ知らぬ宇宙と出会う。
普通人間は衣、食、住に不安なく暮らし社会にとけこんで生きる。
家族にも不自由なく生活することを幸福と考える。
だが、宇宙の生命との合一があるという考えを持ち、それを生きる。
そして知る。
知を持つと考えるならば、
物の過剰の現代よりも深く幸福を手にいれることができる。
それが行いをともなっていれば心は豊かにソレを手に入れる。
追求している快適さとは一見似ているような錯覚を与えるが、
むしろ本質的にはまったく違う次元のものである。
かつて人間があのような独創的な情熱に動かされ追求したならば、
このような現代文明の幸せは利便や物質的実楽のすべてであった。
つまり、指先きで押すだけで照明が輝いたり消えたりする。
季節と関係ないイチゴ。
必要に応じて、何時でも、どこでも、自由自在に流れ出る熱湯や水。
またそれ以上の別にびっくりもしない驚異的な仕掛け。
さらにこうしたものに適応した肉体と医学。
結局は逆に副作用としてやって来た病い。
その結果できあがってきた、
労働や、風俗、慣行、考え方や、感じ方、
事実はいかに?
これらがすべてが我々を縛り、抱えて離さぬもの。
梃でも動かぬ自由と失った奇怪を作り上げている。
都市に住む文明人こそが作り上げている。
文明に洗練され、
文明の奴隷である。
自ら作り出した飽くことのない欲望の奴従にさせられていることに気づくが、
そんなことにも知らんぷりしている。
自分の人間としての生命の表現。
人間的なものの発動。
見ること、
聞くこと、
嗅ぐこと、
味わうこと、
考えること、
感じること、
行動すること、
愛すること、などなど。
それが貧しければ、貧しいほど人はその代償をモノやお金に求める。
世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。
みんなが幸せだと言える日が来ることを祈ろう。
H.MITOMO
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