私はじっとしている。
心の中をみるひまもない。
でも、私は心の中をみる。
私は私で私の中をみる。
もう、何も考えられないほどじっとしている。
しかし、私はみることができない。
私は心の中をみることができない。
変わらない私でいることが私だ。
そして、今私に必要なもの。
それは数本の煙草と酒だ。
こんなことは人間である私だけが言えることだ。
犬からみたら、こんなことは言えないだろうから。
フンして、吠えるだけのこと。
でも、犬でも人間でも思いは一緒。
何をしてもいいというわけじゃない。
私は心の中をみる。
みたいと思うからみる。
私はみるエピソードもない。
人に語るほどの武勇伝もない。
若いときには、そのような物語を持っているものに憧れた。
器が大きく見えるからだ。
自分を特権化したいのだ。
だが、私にはエピソードはない。
エピソードはその人となりを簡単に飾る物語なのだ。
たぶん、脚色されていることが多いが、それで平凡を超えよう。
それによって、小さな英雄になり、
面白い人間になったり、
異常な世界をかいま見た体験者になったりする。
彼が生きて来た人生と、
その世界が生きた彼という人物自身を色彩が帯びる。
うぬぼれはあっていいと思うが、
それを他人にみせようとするのは余計なことである。
うぬぼれのない自分は逆に危ない。
自信には根拠がある。
うぬぼれにはそれがない。
こんなことを考えて心の中をよみたいなどとよく思う。
まあ、明日からはちょっと違った方向からみられるかな。
心の中を読むことができたなら、
こんなことは考えないだろうに。
自分を振り返った時、
やっと何かが生まれる。
そうでもしないと形ができない。
こんなことを考えているときが一番幸せである。
そう考えをまとめて、終わりとしよう。
御供
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